怒濤の再帰的人生

テクノロジーとかデジタルコンテンとかそれ以外とか

そんなにチョロくないオタクとVtuber -Vtuberデフレーション

前回の「そんなにチョロくないオタクとVtuber -その無意味さ」に続いてVtuber関連のことを書く。

timothyauk.hatenablog.com

 

1.コンテンツとしての停滞 -文化としての未熟さ

 

 今年の初めのブーム以降、活動しているVtuberの数は十倍以上に膨れ上がっている。最近は初心者でもパソコンで簡単に3Dモデルが作れるソフト「VRoid Studio」や、ゲーム実況などの生放送がスマートフォン1台でできるアプリケーション「Mirrativ」のアバター機能「エモモ」などによって、誰でも容易にVtuberで活動できるような環境が整ってきた。

panora.tokyo

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しかし、多くの人がVtuberとしてデビューできるようになったことが、Vtuberがインターネット時代の新たな文化として成功したとは意味しない。この事実は人気ランキングの上位に5月以降にデビューしたVtuberが少ない事や話題性の低さなどとして表れている。私はその理由として挙げられるものが二つある。「低品質化」と「引き継がれるテレビ文化」だ。

2.低品質化 -ロングテール

 現在Vtuberとして活動しているキャラクターは4000人ほどいると言われているが、そのうち世間的に知られているのは一体どれくらいだろう。この記事を書いた8月10日時点では「人気ランキング」に登録されているVtuberの内、チャンネル登録者数が1万を超えているのはたった上位200位ほど、700位ぐらいから登録者数が1000人を下回り、1000位以下あたりからは500人を下回る。数パーセントがVtuber全体のチャンネル登録者数やVtuber全体の総動画再生回数のほとんどを占めているという現状は、少し前のamazonなどでも見られたロングテールパレートの法則ともいう)に似ている。結局世間的に認知され、「成功」と認められるのはこの上位数パーセントのみである。

別にチャンネル登録者数が多いから優れているとか、そうでないといけないとは私は考えていない。ただ、チャンネル登録者数が多くても少なくても、再生数がいくつであっても、同じ「バーチャルユーチューバー」である。登録者数100万を誇るキズナアイと、たった数百の私の知らないVtuberでも、世間からは同じ種類のコンテンツとして同じ目を向けられてしまう。だからこそ小規模なキャラクターが増えるということが、「低品質なものの量産」と考えられてしまう。詳しくは後述するがこれはコンテンツのあり方として間違ったものではない、ただこの事実が良い事として見られないのは確かだろう。

 

3結局は競争社会

 最初に書いた通りここまでVtuberが増えた理由には「誰でも手軽に始められる」ということがある。初期のVtuber達はblenderなどの3D作製用ソフトを使いモデルを作成して作られた(彼ら/彼女たちが実際の仮想空間の住人であったりAIであると本当に信じている人にとって申し訳ないがこれが事実である)。これには3Dモデルを動かすための高性能なパーソナルコンピュータや専用ソフトを動かすための知識や経験などが必要であった。しかし、「にじさんじ」の登場でイラストが動くタイプのVtuberが容認されてから、その容易性が個人で配信することを促した。さらに、今はこの垣根は先述の「VRoid」や「エモモ」などで壊されつつある。

Vtuberが活動する場所が共通のプラットフォームである以上、そこは激しい競争市場(レッドオーシャン)なのである。そのためVtuberとして活動しているのであれば彼らは「人気獲得」を強いられる、キズナアイでもシロでもにじさんじSEEDsでもランキング1000位以下のキャラクターでもだ。たとえその気がなくても彼らが同じ「バーチャルユーチューバー」である限りはこのシステムから逃れることが出来ない。これは誰かが決めたことではなくこの世界が資本主義経済を採用し競争を強いているからである。残念ながらこのVtuber人気競争から逃げるためのブルーオーシャンは存在せず、Vtuberとして活動するならばニッチ戦略や受けのいいキャラクター性などを用いて闘わなければならない。

 

4趣味の世界 -手軽さという昔からの流れ

 ただほとんどの小規模なVtuberは自分が競争世界に存在して人気を得るために精進しなければならないということをそこまで意識してはいないだろう。彼らの内のほとんどは決して人気を得て世界一のVtuberを目指しているわけではなく、あくまでも「趣味」で配信活動をしている。この傾向は以前から「ニコニコ生放送」や「ツイキャス」などでも同様に存在する。ゲーム実況などの動画を公開したり生放送の配信などによって、配信者と偶然的にそれらを発見した視聴者が小さなコミュニティーを形成することはスマートフォンが普及し始めたと同時期から存在する。これはどんな有名配信者と言われる人も通った道であり、また現在小規模で趣味として配信活動をしている人が現在行っていることでもある。

 

Vtuberデフレーション

  このような歴史のような小さな流れを受け継いで、今日でもほとんどのVtuberが少ない登録者数と共に活動している。彼らのような小規模なVtuberは存在は決してバーチャルユーチューバーコンテンツにおいてガンのような存在でもなければ必要悪でもない。ただ、彼らも有名Vtuberと同じ「バーチャルユーチューバー」という名を背負う以上、同じ土俵の上に存在しなければならない。そしてより容易にVtuberとしてデビューできる環境が整うのであれば今後もっとVtuberが増える、結果として「量産された」と思われてしまうのではないだろうか。今後は配信環境の整備以上に1人1人のキャラクターとより多く視聴者を橋渡しする環境、あるいはそんなブームを築き上げる必要があるかもしれない。